黄金の日日

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アイドルという化物、あるいはシバレース(呪われた騎士)

 コミケ、お疲れ様でした。

 そこでさる作家さんとお話ししたのですが。
 その作家さん、これまでいろいろなジャンルを描いて来られたのですが、この所はアニメから入ってシンデレラガールズ本を出しておられまして。しぶりん×武内P男性向けです。
 そのしぶりん本、しぶりんがもう本当に普通の女の子で可愛らしくてねえ。と同時に、それが何かこう「こういうしぶりんもアリなんだ」と自分にはすごく新鮮で。もちろん何だってアリに決まってるんですが、自分が渋谷凛というキャラクターに神聖性や超常性を見ていて、それがいつの間にか固まってしまっていて、故に「普通の子」な凛が新鮮に見えてしまったのに自分でびっくりした次第で。
 その方曰く「自分はアニメからなのでどこまで掘り下げていいか迷った。アニメ準拠だとこういう凛になる」と。
 なるほどねえ。それはその通りだ、と深く納得したものです。

 渋谷凛というキャラクターは、シンデレラガールズの中でもある意味「特別」なキャラクターです。
 ゲームが作られるにあたって最初に設定が起こされたキャラであり、即ちゲームの世界観を象徴するキャラとして生まれた事。他の誰よりも先に、CM出演という形で声が付いた事。CDシリーズ・CINDERELLA MASTERの栄えある「001」である事。運営の意図的なプッシュはあったかも知れないにせよ、それに応えてきっちり第三代シンデレラガールを獲った事。そしてゲーム内で描写される真面目で真摯で振り返らず前を向き続ける姿、正直割と痛いタイプの厨二なんだけどそれが似合ってしまう説得力ある堂々たる言動。何より、当時ド新人だった中の人・福原綾香が、良く言えば初々しい、悪く言えば技術不足のCDからライブを繰り返すうちにぐんぐん伸びて行き、歌にステータス全振りしてるホリプロスカウトキャラバングランプリ受賞者と互角に歌声で渡り合い、今やシンデレラライブの堂々のエースにまで成長している。
 「立場が人を作る」とよく言います。特別な意味を持って生まれたキャラクターと、そのキャラを任されることになった新人役者が、そのキャラに何か光るものを見出したファン達の期待と応援を浴び、背に受け、巨大な力で押し上げられるかのように大きな存在へと変貌していく。それが「アイドル」なのでしょう。そしてそれこそが「アイドルマスター」というコンテンツのキモなのでしょうし、渋谷凛もまた「アイドルマスター」を体現するキャラとなったと言えます。渋谷凛を、シンデレラガールズを最初の頃から追っかけてきた我々が目撃したのは、彼女が「アイドル」と化していくリアルタイムの過程だった訳です。
 「ワシがしぶりんを育てた」とは申しません。我々はただ、ごく個人的な意思でもって、ただ応援していたに過ぎません。そして今の渋谷凛は、そんな個人の意思や願いといったレベルからは遥か彼方に、あまりに巨大な存在になりつつあるように感じられます。最初を思えばよくぞここまで大きくなった、と感嘆すると同時に、アッという間にこんな所まで大きくなってしまった、これからどうなってしまうのだろう…と、予想を遥かに超えた急成長と無限の可能性に得体の知れない恐ろしさを感じたりもするのです。そこには悲しみも寂しさもありません。ただ今の私には、想像を絶する、この世のものとは思えない、尊敬すべき奇跡的な存在を前にした、畏怖、のような感情が芽生え始めています。
 そんな存在の事をごく簡単に呼ぶとするならば。
 「バケモノ」と。

 この感情、決して私個人だけのものではないと確信します。
 先の作家さんも、ネット上でザッと調べれば渋谷凛にまつわる経緯や空気は容易に読み取れるでしょうから、その程度の情報は当然把握しておられるのでしょう(もともとその辺は抜かりない方です)。しかし描くにあたって自分はそこまで踏み込まなかったと。我々が作品の外で勝手に盛り上がってこさえて積み上げた設定や人物観、その現場に自分はこれまで参加していなかったから、そのレベルのキャラ観が身に付いていない。自分はあくまで自分の身に付いているアニメに沿って描く、という事なのでしょう。
 それで良いのだと思います。
 それと同時に、こういう世界を後から入って理解するのはやはり難しいのだなあ、二次創作の題材にするならなおさら勇気が要るのだなあ、と痛感した次第でした。
 現状、これはどうにもならない事でしょう。渋谷凛というキャラクターのバケモノ性が広く理解されてほしいと思うのはやまやまですが、なにせ膨大な情報の蓄積が必要なことですので、椅子に縛り付けてこれを見ろ!と大量の資料を投げつける厄介な古参のような真似はしたくない(迷惑です)。第一ほら、ここまで書いて説明してきた時点でもう相当めんどくさいでしょ?これを会う人会う人いちいち説明するなんてやってられない。だから「知る」のではなく「感じて」ほしい、アニメから入った人にも自然に理解されるような展開がこれから為されてくれれば…と願います。そう、アニメの中で渋谷凛がこれからどうなるか。全てはそこだな!と。

 それにつけても我々のめんどくささよ。
 最近は若い子も入ってくるようになったとは言え、アイマスPの年齢層の高さはよく言われるところです。世代的に言えば、我々の多くは「アイドル冬の時代」を通ってきている事になります。また、箱m@sニコマスから映像と音楽に引っかかって入ってきた人たちには、それまでゲームやアニメやアイドルといった文化には縁のなかった、「外」からやってきた人が多いようにも感じます。
 だから、私を含め、特に古くからのアイマス民は皆大なり小なり、考えずにはいられないのです。
 「アイドルって何なんだ」と。


 …と、コミケ会場でそんな事をつらつら考えていたところ。
 たまり場でこいつをパラパラとめくっているうちに止まらなくなり、アイマスからアイドルとはと考えているところに思考と心を直撃されて読み終わってしばらく本を持ったまま金縛りにあっていた訳です。有明で。

 架空アイドルのオリジナル本、三冊目にして完結編です。架空?まあ元ネタバレバレですし一部モデルも何となく判っちゃいますが引き写しではもちろんない。一冊目二冊目はpixivで読めるのでぜひ読みましょう。大人数ユニットの中、あるいは数々のどっかで見たようなアイドルグループの群像劇です。

 三冊目だけ読んでも大体解るとは思いますがかいつまんで説明すると、巨大アイドルグループの中で「向いてなさ」を感じつつもボチボチアイドルしていた内海優希菜(ゆきにゃ)と、アイドルに恋焦がれ努力しつつも今一歩煮え切らない位置に留まっていた大原美紀(おはみー)が、「運」しかないセンター選抜ジャンケン大会で決勝まで勝ち上がってしまい、乗り気ではなかったにも関わらずチャンスを掴んでしまった優希菜がそのチャンスを誰よりも欲していた美紀に勝ってしまった…という所から始まるのが三巻。三巻目に至ってメインになるのがこの二人です。
 何だかんだでセンターに収まってしまい、ギリギリで出てきた自分の中の「アイドルを求める心」を頼りに仕事を務め上げる優希菜、最上の舞台に立ち、敗れ、何かが切れたように活動を休止してしまった美紀。立場に立つことで作られていく優希菜、立場に立てなかった美紀。その二人の離れていく距離と、離れ切ったが故の対決と友情の、壮絶にして美しい、とても美しいお話でした。

 アイドルだって人の子、血の通った人間なのです。泣いて怒って愚痴って腐る、普通の生身の人間なのです。
 そのただの人間が、アイドルというバケモノを目指すというのは、何と過酷なことなのだろう、と。
 そしてそれでも、上を目指していく世界。それは何て壮絶で鮮烈なのだろうと。生半可な気持ちでは振り落とされる、がっつけ!食らい付け!根性見せろ! 美しくは全くない、泥臭い、意地汚い、泥まみれの、ある意味情けない世界なんだけど、その裏の苦しみを代償に作られる美しい光景がある。それに恋焦がれ、求める人たちがいる。ファンも、アイドル自身も。だから彼女らは存在する。
 何て世界だ。眉間に皺が寄りますね。

 本質的に、私は、アイドルというものが好きではないのだと思います。
 だからこそ、「アイドルという生き方を選んだ人間の生き様」を見つめるのが好きなんだと思います。
 過酷な運命を受け入れて生き抜くも人生、全てを見てドロップアウトし別の行き方を選ぶも、また人生。

 まだやれる、お前(美紀)は私なんかよりよっぽどアイドルだ、という優希菜の認識は、多分正しいのでしょう。だが美紀はその道を選ばなかった。選ぶチャンスが手に入らなかったけど、最後には自分の意思でそこに立たない事を決めた。
 きっかけとしては、あんな大舞台で目立ちまくって、その末に負けて、次の日からハイそうですかといつもの用に普通に仕事を続けるなんてできる訳がない、それは彼女の「美学」に反する、というだけだったのかも知れません。が、その結果として、彼女は「アイドル」が存在する理由、作られる理由を知ってしまった。「外」の立場から。
 あのドリームチームは、美紀が恋焦がれた「アイドルの世界」を体現するものであり、同時にそれとの決別であったのです。悲しいです。何て悲しいステージなのでしょう。
 と同時に、マンガの中だけど見えたのです。現実の素晴らしいステージが!
 ライブエンターテイメントの美しさ楽しさ壮大さ。同時にその裏で生身の人間に与えられる過酷で残酷な運命。そのどちらもが、あのステージには同時に存在していた。混ざり合って舞台の上にあった。
 美しさと過酷さ、見るべきものはどちらか一方だけではないのだと思います。両方あって、それが「アイドル」。そういうものなんだと思います。
 傷だらけになりながらステージに立つ全ての「アイドル」達に、敬意を表します。

 そして優希菜と美紀、美しくも残酷なステージを務め上げた二人に、敬礼。よい決着でした。


 …と、アイドルの神聖性絶対性に思いを巡らしていたところに、生身の人間としてのアイドルの姿を見せられて強烈なカウンターパンチを食らってしまい、大袈裟で大上段な事を考えていたところ、今度はこの本でフッと「戻ってきた」と言いますか。

 ドーモ、nogoodlifeサン…というか、ニコマス的にはOGOPとお呼びしたいですね。春香さんが好き過ぎる事に定評のあるあの方です。その人がついに春香さん本を書いた。これは事件ですよ。これがいかに重大なことか。読むしかないでしょうこんなの。

 で、天海春香ですよ。
 アイドルマスター最大のバケモノ。まさしくコンテンツの大元の中心でありそれを象徴する存在、コンテンツ自体の物語と運命が服を着て歩いているような存在。「ちゃん」ではなく「さん」付けで呼んでしまう存在。天海春香
 その春香さんのお話なんですが、…そう言っていいものやら。いやさすがというか何と言うか春香さんがクッソ可愛いんですけど、このマンガの彼女はあくまで象徴として偶像として、天使として、そこに居るのですね。「裏」の部分は、この中では、ある一人のファンが担っています。
 ドルオタの主人公、地下ライブでたまたま春香さんを見て一発で落ちる。そこへ偶然、765プロにシステム担当として勤務する事に…!というお話。同じ職場の目の前に俺のアイドルが、春香さんがいる!雑用なんかして話しかけてくれる!天国です。ただし彼、ただの事務所のデスクワーカーであって、プロデューサーではないんですよね。プロデューサーはすでに別にいる。こんな可愛い子はもっともっと売れるべき!俺なら春香さんにあんな事やこんな事を(エロい意味ではない)してやれるのに!…生殺しですよねこれ。それでいて、あくまでドルオタとして春香さんのイベントにはちゃんと出る。とっくに知り合いなんだけど、現場ではアイドルと一ファンとしてしか接しない。いい分別だな! 何でしょうこの関係。割とガチ恋してるんだけど、あくまで一線を引こうとする。男と女ではなく、アイドルとファン、もしくはプロデューサーでいたいのです彼は。でも本当に間近にいるから一挙手一投足が見えてしまうのですよ。どんどん好きになってしまうのですよ。目の毒です。やるせない。自分の好きな気持ちと一線を引きたいという節度美学が激しく冷戦しているのです。ニコマス作品で感じられた「好きなんだけど届かねえんだよ壁があるんだよ畜生!」というあらん限りのシャウト。それが一杯に漲っているマンガ。まさにOGOPです。
 そして、現場で見てみれば、やっぱり春香さんは春香さんでね。葛藤なんかどうでも良くなる。わかります。わかります。この先どうなるかわからんけど、そこはね、そこだけは確かなのですよね。

 立場が人を作る、ファンがアイドルを押し上げると先に書きましたが、このマンガはそのファン側に焦点を当てたものと言えます。そして今回のこのマンガ、届かない壁を作っているのは他ならぬ彼(ファン)自身という構図が面白い。接近認知その気になればいくらでも可能な究極の立場に立ってしまったファン、だからこそ葛藤も究極の所まで行ってしまっている。そこで彼はどうするのか。それでも壁は壁たりうるのか。
 以下続刊。待ちます。

 まーね、我々ファンなんてこんなもんですよ。
 ただ応援し愛する事しかできない。その結果なんて知ったこっちゃねえや。
 アイドルとはとかアイドルの神聖性悲劇性絶対性なんて思いを巡らしても、結局は現場で―リアル電波ゲーム機ネット媒体を問わず―アイドルを見て応援すること、それこそが全て。そこだよね。と。
 かくして、私は普通のいちオタに戻ってきたのでした。おかげさまで今は平穏です。

 以上。
 コミケ、本当にお疲れ様でした。