黄金の日日

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ミリシタTCとシンデレラ総選挙を控えて「宣伝」についてふっと思った事。

ああ、うん、推しの宣伝がしたかったら、オタクとしていつもやってるような共感を求め確認するムーブじゃだめなんですよ。
何故なら、今現在推しでないという事は、共感し合える相手でないことがすでに明らかだから。
知らないだけって可能性はもちろんありますけど、「知らない」と決めてかかって物を言うのは基本失礼でしょう。「知っているけど推しではない」相手であるのを前提に宣伝するべきで、そこですでに知られているであろう基本的情報を並べ立てるのは意味が無い、ばかりか逆効果ですらある。
考えるべきはただ一点、「どういう切り口で、推しのどこを、どう推し出せば、その人の感性に引っかかってくれるか」。自分の感情はほっといて、相手の感情を読むのです。

まあ、よく知らない人もゼロではないはずですから、愛に任せて情報並べ立てるスタイルの宣伝が無意味だとは言いません。ただ現状の選挙イベにおいては、票とは基本的に「他担当から持ってくる」ものでありますから、「基本的情報ぐらいはすでに把握済み」な相手を想定して「基本的情報を上書きできるインパクトのある売り込み」を捻り出す必要がある。
そして厳密に言えば、どう宣伝すれば有効なのかは売り込む相手一人ひとり個別に考えなきゃいけない。でも普通そんなのやってられないから、ある程度まとめてカバーできるボリュームゾーンを見定めて、そこを狙って網をかける感じて押し出してく事になる訳です。
愛を吐き出して並べ立てるなら誰でもいくらでもできる。でもそれじゃダメだから宣伝て難しい。簡単じゃない。

…この界隈、推しの宣伝してて悲壮な感じになっちゃってる人をよく見かけるのでね。
宣伝に、愛は邪魔です。
少なくとも宣伝の局面では、愛は捨てましょう。
もちろんモチベーションの源として大切だけど、愛そのものは宣伝素材として役には立ちません。言っちゃなんですが、担当愛なんてそこらに鬱陶しいぐらい転がってますから。
そこ、見失わないよう心得るべきかと存じます。